高 炯烈 (コ ヒョンヨル)
<経歴>
1954年、韓国江原道の束草に生まれる。
1979年、『現代文学』により登壇。
詩集『大青峰すいか畑』『海青』『沙津里、大雪』『ソンエ花が瞳に映って』『金浦云護ガーデンで』『夜、彌矢嶺』。
児童詩集『パンを手に眠る姉さん』長編散文『銀光魚』散文集『詩の中に花が咲いた』など。
2006年、広島の原爆投下の惨状を描いた『長詩 リトルボーイ』を日本のコールサック社から出版。
2010年、『アジア詩行』をコールサック社から出版。
現在、ソウルで日本、ヴエトナム、中国、台湾、モンゴル、ミャンマーなどアジアの若い詩人たちとともに季刊『詩評』を編集する。
<詩作品> (訳・李 美子)
木の枝のリボンと油桃花(ゆどふあ)
――東京の李美子詩人へ
地上の蒸し風呂の暑さのなか都市を歩いてゆく
毒を浴びた油桃花(*)、赤い花を咲かせ萎れている、火のように
花は熱く 木の枝を揺らす
そしてすぐに手をはなす、長い枝が大きく波打つ、
宮島は手の指ほどの白い布を結んでいた、木の枝に
喪中の人たち! 隠れて外には出ないほんとうの人たち
ここはどこ、彼らはみんなどこへ行ったのだろう
人の顔、人の髪、人の眼
リボンをつけた木の、日本のたそがれ
このふたつがわたしには叙景の悲願になろうとは
悲しいこと、でもどうか出てこないでください、
五色の日本の文字をきざんだ人たちが 閃光と暴風の
油桃花の木の下に引き返してゆきます
※夾竹桃(訳者)
あなたの眼の中に、そして
――広島の長津功三良詩人へ
あなたの眼の中にまだ閃光がある、そして
鼓膜の破れる、ふたつの耳のふさがれ気道のふさがれる
建物の外壁體の煉瓦ががらがらと崩れる
友人たち、
いや、空中を舞って煉瓦とともに向こう側へ飛んでゆく
おまえの眼の中に、そして
黒雲が八月の青い空にむかってぐんぐんと聳え立つ
驚嘆の都市、そして
一度もこの都市から離れては暮らせなかった
おまえの眼の中に、そして
玉蜀黍の皮のような鼓膜、サイレンのような小さな音響が、
眼をつむるとき、
遥かな地上の一都市の、一つの生の、一片の記憶
おまえの眼の中にいまも閃光が、そして、そして
そして、またも そして
世界平和遺産を通り過ぎて
――鈴木比佐雄詩人へ
相生橋の向こう側の原爆ドームをながめて
東京都から訪れたわたしの友人の鈴木比佐雄が言う
原爆ドームは地上でもっとも美しい芸術作品です
李美子はわたしに伝える 鈴木比佐雄のことばを
ソウルから訪れた鈴木比佐雄の友人の高炯烈は言う
あの原爆ドームは日本の茨の冠のようです
鈴木比佐雄に李美子が伝える 高炯烈のことばを
微笑んで伝えたが、すべては言い尽くせなかった
菊とさくら
――石川逸子詩人に
万のさくらの花びらが舞って一ふさの菊の花びらが開く?
十万のさくらの花びらが舞ったあとに十ふさの菊の花びらが目覚める?
一ふさの菊が完成するために
一気に数百万のさくらの花びらが咲かなくてはならない?
一つの庭園の数万の菊がいっせいに咲くために
道ばたのすべてのさくらがいっぺんに落花せねばならない?
その黄菊一つの存在の完成のため
数え切れないほど多くの日本列島の商店や路地の
すべての女や少年のさくらの花びらが散らねばならない?
そうして一つの花が完成できるのなら
全列島にさくらが満開する日、わたしは外出を禁じる?
花びらが頭上にきっと雪のように降ってくるだろうから
ところが正直に言って 一ふさの菊は
列島のさくらがすべて散っても不足ではないだろうか?
*日本の本質をさぐることは韓国人にとって一つの話の糸口でもある。日本が韓国・北朝鮮の人々の心から疎外されなければと思う。怨念となってそのうるわしいすがたが消えてしまうのは惜しくもどかしい。日本はわたしには切なく美しい一笑のようだ。その笑みはしばらくやって来ては消える午後の狐の嫁入りや降りしきる雪のようにはかない。一衣帯水の古くからの関係を思い浮かべる。古くさい問いであり無益な追憶にすぎないのだろうか。